惟澄が見た
夢とは
激闘の末、戦いに敗れ主君と家臣を失い
疲れ果てた惟澄が、本拠地である
矢部(現在の熊本県山都町)の
入佐の城に戻った夜のこと。
無数の蛍が刃こぼれをした刀の上に集まり
消える…という不思議な夢をみたのだった。
みなさんは、宝刀「蛍丸」のエピソードをご存知でしょうか?
私たち通潤酒造の特徴は、徹底した昔ながらの“寒造り”。
地元(熊本県山都町)に伝わる蛍丸伝承のイメージにピッタリな
純米吟醸酒で宝刀「蛍丸」を表現しました。
お酒となった蛍丸は、山都町の伝承と共に
沢山の人の思いをのせて山都町から皆様の元へ旅立ちます。
みなさんは、宝刀「蛍丸」のエピソードをご存知でしょうか?
私たち通潤酒造の特徴は、徹底した昔ながらの“寒造り”。地元(熊本県山都町)に伝わる蛍丸伝承のイメージにピッタリな純米吟醸酒で宝刀「蛍丸」を表現しました。
お酒となった蛍丸は、山都町の伝承と共に沢山の人の思いをのせて山都町から皆様の元へ旅立ちます。
熊本県山都町
阿蘇神社の大宮司であり、
鎌倉時代から南北朝時代にかけ活躍した
武将・阿蘇惟澄(あそこれずみ)と
その大太刀「蛍丸」の話である。
時は戦国一三三六年。
筑前国多々良浜(現在の福岡市東区)にて
起きた足利尊氏率いる足利軍と、
阿蘇惟澄・菊池武敏軍の合戦での事。
戦いは、味方の死傷
百余人を数える激戦であった。
武将・阿蘇惟澄は苦戦を強いられ
追いすがる敵を斬り払い、
危地は逃れたものの
刀はささらのように
刃こぼれを生じてしまった…
激闘の末、戦いに敗れ主君と家臣を失い
疲れ果てた惟澄が、本拠地である
矢部(現在の熊本県山都町)の
入佐の城に戻った夜のこと。
無数の蛍が刃こぼれをした刀の上に集まり
消える…という不思議な夢をみたのだった。
次の朝。
惟澄が目を覚ますと、驚くことに
欠けていた刃が元通りになっていた…。
そのことから惟澄はこの刀を、
「蛍丸(ほたるまる)」と名付けた。以後、蛍丸は歴代宮司が出陣の際に
必ず持って行ったと聞きます。
阿蘇惟澄と激戦を共にした大太刀、蛍丸。
昭和6年に国宝の指定を受けましたが、終戦後占領軍の武器接収以後から
現在まで、行方不明のままなのです…。
阿蘇惟澄と激戦を共にした大太刀、蛍丸。
昭和6年に国宝の指定を受けましたが、
終戦後占領軍の武器接収以後から現在まで、
行方不明のままなのです…。
創業1770年の通潤酒造。今も伝統の酒造りを続けています。
蛍が刀を癒したように、純米吟醸の柔らかい味が私達の心を癒やします。
酒の後切れの良さは、癒されて切れ味抜群になった
「蛍丸」のイメージを重ねました。
蛍丸の名付け親、阿蘇惟澄公にもきっと気に入っていただけるお酒です。
創業1770年の通潤酒造。今も伝統の酒造りを続けています。
蛍が刀を癒したように、純米吟醸の柔らかい味が私達の心を癒やします。酒の後切れの良さは、癒されて切れ味抜群になった「蛍丸」のイメージを重ねました。蛍丸の名付け親、阿蘇惟澄公にもきっと気に入っていただけるお酒です。
「蛍丸を飲むためのグラスが欲しい!」「蛍丸のグラスを作ってください!」
「お酒のデザインが良かったから、グッズを作ってください!」
そんな皆さんの声にお応えして、
山都町の人々と、お客様とで一緒に作ったミニグラスです。
「蛍丸を飲むためのグラスが欲しい!」「蛍丸のグラスを作ってください!」「お酒のデザインが良かったから、グッズを作ってください!」そんな皆さんの声にお応えして、山都町の人々と、お客様とで一緒に作ったミニグラスです。
戦のたびに刃こぼれし、研ぎなおされ、
痩せてしまった大太刀 蛍丸。「初神成 蛍丸」は来国俊が打上げたばかりの
大太刀をイメージして、酒蔵から生まれたばかりの
「純米吟醸 蛍丸の新酒」をご用意いたしました。
通潤酒造の寒造り新酒ならではの、フレッシュな味わいが楽しめます。
原酒でご用意したお酒は、アルコール分17度。通常の蛍丸より度数は高いですが、まだ摩耗する前の大太刀に重ねました。
山都町の入佐には、阿蘇惟澄の城と伝えられる入佐城(恵良城)をはじめ、
多くの中世の史跡があります。また、入佐地区は今も蛍の名所となっています。
山都町の入佐には、阿蘇惟澄の城と伝えられる入佐城(恵良城)をはじめ、多くの中世の史跡があります。また、入佐地区は今も蛍の名所となっています。